デニス・キンロー


昨年末に、デニス・キンローの本を買いました。デニス・キンローはアメリカを代表する神学者です。個人的にファンです!以前、彼の書物『キリストの心で』を読んで、とても恵みを受けました。
今回は新しい本『エマオの道で』を買いました。一日一日の聖書の黙想が書かれています。説教であったり、エッセイであったり。
どんな人もも明日の人生を知る人はいません。分からないものです。しかし、聖書は言います。 「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯詩篇119:105」。神の言葉が私の人生を確かに照らし、聖霊によって一歩一歩を導いて下さいます。
エマオの道・・・それはルカによる福音書に登場します。復活されたイエス様がエマオの道で、二人の弟子たちに話しかけられ、一緒に歩きはじめられたのです。温かい人間味をもって弟子たちに接近される主イエスの姿があります(今日のあなたにもそうでしょう!)。しかし、何とイエス様はここで非常にがっかりしてしまうのです。それは、二人の弟子たちがイエス様の復活を信じていなかったからです。しかも、弟子たちは自分たちが話している相手が、イエス様だとは分からなかったからだと聖書は記録しています。・・・しかし、この後、二人の弟子たちは無理にイエス様を旅先の宿に泊まらせます。そこで、イエス様は食事の前に賛美し祈りました。そのときに、弟子たちはやっと霊的な目が開かれてそれがイエス様だと分かったのです。イエス様は私達の信仰をご覧になられるお方です。その信仰は神の御言葉である聖書に基づかなければなりません。イエス様はそれを教えられたのです。今年、いつもイエス様との交わりの中、皆さんが歩めますように。

ルカ24章 13節以下
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った