やがて天国にて。

昨年の暮れのことです。
私のおじいちゃんが12月27日に亡くなりました。
朝に実家から着信があったので、もしかしてと思いましたが、昼ごろにメールにて分かりました。
私には、なんとなくわかっていました。昔のことを思うと、考えられないくらい冷静でした。悲しいという感情よりも、主のもとに行ったのだという思いが強く、信仰でその日をむかえるようになりました。不思議です。
確か、4月頃、祖母が手術をしたので一度お見舞いに行きました。その時に、私ははじめて、老人ホームにいる祖父のお見舞いにも行ったのです(今まで何度か実家に行った時はちょうど祖父は実家で過ごす時だったのです)。老人ホームに行く前にも、祖父はもう弱っていて、まったく寝たきりで会話もすることはできなくなっていました。ある時は、非常に絶望的な印象を私は受けたこともありました。常に祈りましたが、このような祖父に主の救いの答えが本当にあるのか・・・。(いつも介護していた家族とヘルパーさんにはとても感謝しています)。
その4月に、祈り賛美しながら祖父と祖母に会いに行きました(車は一人なので大声で賛美することができました)。はじめて、祖父がいる老人ホームに行った時、不安が大きかったと思います(私はほぼ毎日のように家族の救いのために朝に祈ってきました)。
・・・ときどき、ある人は亡くなる前に病床で、奇跡的に目を開けて、イエスキリストを受け入れて、亡くなっていった、というような証しは何度か聞いたことがあります。
そんなことが私の祖父におこるのだろうか、それは不可能でなないかと思っていました。私は、老人ホームに入り、祖父を探しました。どこにいるのか。昼時で祖父は食事中とのことでした。見つけました。介護の方が、目も見えず、ただ口を開けている車椅子の祖父にスプーンで何か食べさせていました。難しい作業です・・・。しかし、私はその瞬間ショックを受けました。祖父は、「ありがとう」、「ありがとう」ただ何度もその言葉だけを言っていたのです。驚きでした。目もずっど前から見えなくなっていて、話もできないし、そんな人がだれに対しても、ただ「ありがとう」、「ありがとう」とそれだけを言ってすごせるものなのか。みんなにそうだったようです。普通なら不安だし、恐れや不満があるものだと思います。私が来たことを告げました。なんとなく、わかったのだと思いました。「ありがとう」「ありがとう」その言葉だけでした。食事はすぐに済んで、ヘルパーさんによって寝床に連れてこられ、すぐにベットに横になりました。二人きりになりました。涙が溢れました。祖父は話しかけると、ただ「ありがとう」、「ありがとう」とだけ言いました。そして、やがて眠ってしまいました。私には分かりました。主が祖父の魂に触れてくださっているとうことを。主は祖父をすでに救って下さっていることを・・・。私は感謝して、祈りを捧げてきました。
クリスマス前に、会った時、院長先生からは、もう長くはないと言われました。その日が私と祖父は最後の時でした。ですから、私は祖父に言いました(もちろん、聞こえはいないと思いますが)。次は私が来るか、イエス様が来るかどっちかです、と。多分イエス様だと思います、と。創世記のヤコブの臨終の時みたいだろうか。
私は祈り、たくさん話しかけ、クリスマカードを祖父の胸ポケットに入れました。私の涙は、祖父の額に落ち、祖父のまぶたを涙で触れました。
主は必ず救っていて下さるのだ、と。
・・・27日に祖父が亡くなった時。自然にこう思いました。なんて良い時を主は選んで下さったのだろうか。クリスマスの余韻が残る中、年末の29日から始まる祈祷会の前のこの時。新しい年を迎える前に、主はそっと配慮して私のためにも、そうしてくださったと(新年だったらその年、悪い意味で響いてしまうかもしれない)。年末年始でなく、誰にとっとも忙しくない時。27日は月曜日、主日の後の日である・・・。
主に感謝しました。
前日、ちょうどこの御言葉の箇所でメッセージしました。
ヘブライ人への手紙11章4〜6節】
信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
*私は思いました。アベルは羊を捧げる前に、自分自身が神様に喜ばれていることをよく分かっていたのだと。信仰とはそのようなものだと思います。

・・・信仰によって。だから私は信じます。主が祖父を救ってくださったことを。
通夜や葬式では、こちらでCDを流せるそうです。その時、ソンソルナムさんのCDが間違いなく流れたはずです(多分間中ずっと)。ここも神の御国なれば・・・、
主に栄光・・・、イエス様の愛・・
主に感謝します。信仰によって。信仰によって・・・。
主に喜ばれる者になるように。
ハレルヤ、アーメン。祈りくださって心から感謝いたします。