命の尊さ4

続きです。

私たちは神様の前でどれほど罪を犯しながら歩んでいるのか。
一歩踏み込み、どうしたらこのような社会、世を変えることが出来るだろうか。
私はこの国がイエス・キリストの福音に満たされることだと信じます。イエス様の愛が一人一人の心に満たされる時に、人は悔い改めて、神様の元に帰って行きます。
だからリバイバルを求めます。

ネヘミヤ記1章を見ると、国の罪のために祈ったネヘミヤがいます。彼を通してイスラエルは再び再興して行きました。
一番始めにルカによる福音書を紹介しました。
15節、イエスに触れていただくために…
他の福音書では、イエスに祈っていただくために、とある。
祈りは重要です。
子どもたちはイエス様に祈ってもらっても意味も分からないし、理解出来ないと思う。しかし、祈りは意味があり重要です。
弟子たちは叱ったとあります。
1子どもたちを軽んじたという理由
2緊迫した中でエルサレムに向かっているイエス様が疲れないように、という配慮から。いろいろ考えられますが、
…どちらにしろイエス様の御心ではなかった。
16、17節
神の国は子どもたちのような者である
子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない。
子どものように 。態度のことです。
1受け取る、という純粋な態度
自分を偉くせず、経験や知識を言わない。
2来る、という態度。
シオンちゃんを私は時に叱ってしまう。うるさくて我慢できなくて怒ってしまう。私も申し訳ないと思う。
シオンちゃんは泣いてしまう。しかし、その瞬間にでも両手を広げて、私に抱っこしてほしいと求める。始めてこうした時に驚きもあったがとても感動した。
そして私は抱いてあげた。
少し神様の愛を悟った気がした。
(育児院の子どもの姿も思い出された)

また、この御言葉を見ながら、親には子どもたちを主の前に連れて行く義務があると悟る。

不完全だと思いますが、今回はメッセージ風に書いてみました。
祈り。
私たちの罪を赦して下さい。日本が主の愛で変わって行くように、リバイバルを起こして下さい。私たちにいつも謙遜な心を下さい。
いつも主のもとに行き、受けとり、また子どもたちを主のもとに連れて行くことを実践させて下さい。
命を与えてくださったイエス様の御名によって祈ります。