与えられた機会から。

先週の主日、ヨハン仙台キリスト教会に有賀喜一先生が来られました。
前日の土曜日に、週報に載せる御言葉をお聞きするために確認のために電話をしました。
電話の向こうから聞こえたのは、30代のバリバリの営業マンのような声のはりでした。
その先生がもうすぐ80歳とはとても信じられないものでした。

(*・・・私は最近人物に関する記事が多いかな、と思いました。人物や特定の団体に焦点をあてるのは、ひょっとすると、主ではなく人がすごいというようなことになるので、この手の分別をよくわきまえていないと意外と“罠”に陥りやすいですからね。)

・・・とにかく、こういった機会が与えられたですから、「とにかく先輩先生から何か得よう」、と思いました。
メッセージも非常に恵まれました。以前間接的に聞いたことのある証しも聞けました。今では家族・親族で69人救われているとは、・・・ちょっとすごいなと思いました。何と私と同じ福島県出身とは、これは個人的な驚きでした。


少なくとも
・迎えに行ってお迎えした車の中で、
・教会についてテーブルに座った直後で、
・メッセージの最後のまとめの祈りで、「それでは、主よと三回叫んで祈りましょう」(←日本人の牧師先生ではまずあり得ないのでは)
・夕食のテーブルで、
・ホテル前で別れる時、
・・・有賀先生は突然祈りました。「それでは、祈ってもいいですか?」なんてことは一切言わず、突然頭を下げて声を出して祈りました。

いろいろ聞いた中で印象に残ったこと。
有賀先生は、毎朝4時に起きて7時まで祈っている。神学校の先生で早天を導くために早天準備している内に身に付いたようです。
夜は?と聞くと30分妻と祈っています・・・と。土曜日は半日、午前中祈ります、と。
曜日毎に何を祈るか枠を決めています。
月曜日は北海道から沖縄にいたるまでいろいろな教団のために祈っています。火曜日は・・・。こんな具合でした。
明るく朗らかな先生でした。
さすがにこのような裏打ちがあるんだなと思いました。とにかくいろんな意味で型破りだなと思いました。
大きなチャレンジを受けました。

もうひとつ。先生には、毎日自分のために執り成しの祈りをしてくださる人が250人いるそうです。
昔は、いつも疲れやすく、肩こりが激しく、たいへん苦しんだそうです。しかし、取り成しの祈りをしてくれる人が増えてから、まったくなくなったそうです。

今回はこんな感じで書いてみました。
私のためにも祈ってください。私もみなさんのために祈ります。

とにかく今日も主を見上げて行きましょう!

from coffeeboy



アラム兄弟が本日9日に帰国しました。
今年は、本当に彼の歌が世に知られるようになりました。テレビでも時々流れます。今度は、ドラマの主題歌になるかどうか、というところみたいです。
アラム兄弟は、ゴスペルシンガーとしてヨハン教会や、あちこちの教会で賛美して来ました。大変長い下積みです。

アラム兄弟は、あまり友だちもいなかったようです。劣等感が強く、勉強もそんなに出来なく、(私の記憶では、成績はいつも40人中38番だったそうです)、ニキビがいっぱいありました。
学校でも一人でご飯を食べることが多かったそうです。ゲームが大好きでした。ピアノが大好きでした。

…そんな彼が、20を過ぎて神様に出会いました。
初めて作った曲が、「尊い君へ」です。
心に葛藤のある人の慰めになろう、そして祈り始めました。
アラム兄弟は、30歳でデビューしました。年齢的には普通はあり得ないことです。30歳でブログを作りました。自分の作った曲を載せ始めました。ブログメンバーになったのは、自分と、お父さんとお母さんでした。二年目になりました。メンバーのなったのは、お兄さんと、甥が増えて五人になりました・・・。
「結婚できるかな」という曲を作りアップロードしました。これが予想外にブレイクしたそうです。
その後、以前作った曲も高評価を受けることになり、ラジオのゲストとして出演しました。一度限りのゲストでしたが、担当者に気に入られてレギュラー出演することになりました。ラジオ関係者からも奇蹟だと言われています。

アラム兄弟に、珈琲少年の店を出しませんか?とか、コップを販売しませんか?もっと芸能に入り有名にできる、等、声をかける人も多いです。
しかし、彼は全てNOと言います。彼自身の時間は主に捧げているのでいつも自由でありたいそうです。訓練の期間があったからこそできることです。名声でも、お金も大事ではない、よく知っています。
アラム兄弟が主にあってこれからも活躍されることを願います。

東北希望の祭典・感謝会




本日、東北希望の祭典の感謝会が行われました。
主の恵みが満ち溢れました!
集まった牧師先生方、BGEAスタッフ、サマリタンズ・パース、皆、聖霊に満たされ燃えています。日本宣教に、魂の救いに熱い思いがあります。

私は田中先生の隣に座りました。食事の時、ずっと交わり話をする機会が与えられました。
田中先生の、救いの証、献身の証等聞かせて頂きました。田中先生は77歳です。高校一年生の時に救われたそうです。後任の若い牧師も育っています。
今度ご紹介します。
とにかく、福音主義の立場で、イエス様を愛して日本宣教をやって行こう!という教会が、牧師先生がたくさんいる。嬉しい限りです!ハレルヤです!
エスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。ヨハネによる福音書14:6

ネルソンさん 二

そのネルソン提督のご子息は、身長はそんなに高くありませんでいした。170あるかないかで、痩せてはいなく、がっちりとした体型でした。髪はショートでした。笑顔でしたね。23歳くらい。よく覚えています。
彼の滞在期間は教育実習生ですから二週間くらいでした。
彼は、ある英語の時間に、ネルソン提督の話から始めて自分のことを話しだしました。
そして、自分はクリスチャンである、ということをはっきりと話始めたのです。
その時、その授業を担当している日本人の先生が通訳していました。
そしたら、3分ぐらい二人でもめ始めたのです。
宗教の話はだめだと日本人の先生は言いました。
彼は残念そうにしていました。
しかし、許される範囲で通訳してもらい話はじめました。
「私は、イエス・キリストを皆さんに伝えに来たのです。それが日本に来た目的です。
 みなさんに伝えられないのが本当に残念です。しかし、私は皆さんの祝福を心から祈っています。
皆さんが将来、イエス・キリストを信じることができますように・・・」
ネルソンさんはそんなことを3分ぐらい話しました。
私たちはその時中学1年で、外国人が話してくれるだけで嬉しかったような雰囲気がありました。そして拍手しました。
授業終了後、教室の外でまた二人が立ち止まって話し合っていました。
日本人先生が注意していたようにも見えました。
私はその光景をじっと見ていました。
いまもよく覚えているのです。
・・・あらから、数年後私はクリスチャンになりました。
その後、はっとこの出来事を思い出したのです。
ネルソンさんに本当に感謝します。
神様がお遣わしになった方でした。
まさかあの時、話していた学生がクリスチャンになるなんて考えられないことだと思います。
彼の主への献身、勇気は確かに実を結びました。

いつかネルソンさんに会える時が来るか。彼はあの教育実習の出来事をおそらく忘れていないだろうと思います。
もし会えたら感謝したいです。

主は素晴らしいお方!!
私たちの祈りと御言葉の種はどこで芽がでるか分からない。
主よ、今日もお働きください。

ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。ローマの信徒への手紙10:14〜15

ネルソンさん 一

ヨハン仙台キリスト教会に派遣されてから、もうすぐ四年半年になります。
主の働きに動きがあり、目まぐるしい日々です。
私はほとんど人に言ったことがない話があります。
隠すつもりは全くないのですが、思い出しては、ふと忘れ、またある時思いだすのです(そしてまた忘れます…)。中学一年生のころの話です。鮮明に覚えています。
あるイギリス人の教育実習生が福島県の田舎にある私の通う中学に来ました。彼は、ネルソン提督の孫でした(私の先祖はネルソン提督だと言っていました)。そんな話を彼は英語の時間に話していました。